「子どもは親を映す鏡」―サンボと私の魂の再会

子育てと栄養

こんにちは、食育栄養コンサルタントのたまごごはんです。

サンボが9歳になる今、不思議な感覚に包まれて

息子サンボが、もうすぐ9歳になります。

少し前までは、何でも素直に「うん」と言っていた子が、最近では一筋縄ではいかなくなってきました。

「こうしたら?」と声をかけてもわざと逆のことをしたり、「誕生日プレゼント、何が欲しい?」と聞いても「別にいらない」と返ってきたり。

そんな様子を見て、私はふと思いました。

「あれ、まるで昔の私そのままじゃない?」

あまのじゃくで、へそ曲がりで、でも本当は甘えたくて優しくされたい。

…そんな、幼少期の私とサンボが、ぴったり重なる瞬間があるんです。

子どもが自分を写してくるということ

サンボを見ていると、「これは偶然じゃない」と思えてきます。

まるで彼は、過去の私の姿をもう一度見せてくれているような気さえするのです。

私が母に言えなかったこと、我慢して飲み込んでいた気持ち。

それをサンボが代わりに語ってくれているような、不思議な感覚があります。

「ママにああ言われると、すごく悲しい」

「そう言われたら、なんか心がズキッとする」

…その一言一言が、私の胸をえぐるように響きます。

まるで、小さかった頃の私自身が目の前にいて、今ようやく心の声を聞いてもらえているような、そんな気持ちになるんです。

魂の記憶が蘇るような子育て

こうした体験をしていると、子育てが単なる「育てる・教える」ことじゃなくて、

「魂の再会」なんじゃないかって思えてくるんです。

たとえば、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんは、著書の中でこう語っています。

「親と子は、前世からの約束で出会っている。

子どもは親の魂を癒すために、あるいは課題を与えるために生まれてくる。」

この言葉を初めて読んだとき、涙が止まりませんでした。

今の私とサンボの関係が、まさにそれなんじゃないかと、腑に落ちたからです。

(江原啓之さんの代表作 →

「スピリチュアル子育て」

インナーチャイルドの声を、サンボが代弁してくれる

子どもが癇癪を起こしたとき、反発してくるとき、あまのじゃくになるとき。

「しつけとして叱らなきゃ」「ちゃんと導かないと」って、親としての立場に立ってしまいがちだけど、

私の場合、そんな瞬間こそ**「過去の私自身」と対話する時間**になっているんです。

小さな頃、私は母にこんな風に接してほしかった。

「忙しいから」と言われて突き放された時、どれだけ寂しかったか。

怒られた時よりも、「無関心」や「早く済まされること」が、何より辛かったこと。

サンボは、それを目の前で教えてくれます。

私が忘れていた心の記憶を、呼び起こしてくれます。

「子どもが自分を選んで生まれてきた」という感覚

サンボが私に似ているのは、たまたまじゃない。

私は本気でそう思っています。

口調や態度、反応の仕方まで、小さい頃の私を再現しているようで、時に怖くなるくらい。

でもそれは、サンボが私を「選んで」生まれてきた証なんじゃないかと思っています。

私が母との関係で果たせなかったことを、

今、母になった私がサンボとの関係の中で修復していく。

そんな「魂の課題の続き」を生きているような気がするのです。

心の栄養も、体の栄養と同じくらい大切

「サンボの栄養日記」として、これまで身体に良いこと、栄養素の話などを綴ってきましたが、

最近はどうしても、「心の栄養」についても考えることが多くなりました。

科学で証明できないこと、目に見えないものの中に、

実は一番大事なことがあるんじゃないか。

合理的で効率的な世の中になっていく一方で、

「心のあり方」「魂のつながり」を無視してしまうのは、何か大切なものを置いていく気がします。

おわりに 〜スピリチュアルも、子育ての一部でいい

この話を誰かにすると、「うわ、そっち系?」と引かれることもあるかもしれません。

でも私は、もう隠す必要はないなと思っています。

だって、魂の話が腑に落ちることで、私の子育ては救われてきたから。

私とサンボの毎日は、きっと前世からのご縁で結ばれていて、今もご先祖さまや神様に見守られている。

そう信じることで、私は目に見えない大きな力とつながれている気がします。

これからも、体の栄養とともに、心の栄養もたっぷり届けられるようなブログを書いていきたいと思っています。

関連書籍のご紹介

江原啓之

「スピリチュアル子育て」

美輪明宏

「人生ノート」

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サンボの登校拒否から学んだ身体の栄養についてはこちらから

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